こんにちは。
ゆあんなです^^
現在、高校野球のセンバツが開催されていますね。
私は、夏の甲子園が大好きで良く見ているのですが、高校生のアツイ戦い本当に毎年感動させていただいてます^^
今回は、プロが注目している選手で話題になっている大船渡高校の佐々木朗希(ささき ろうき)投手について調べてみたいと思います^^
私は、岩手県出身なので、岩手の選手が活躍してくれると自分のことのように嬉しいです♪
岩手出身の選手といえば、大谷翔平投手や菊池雄星投手が大活躍していますね!
この2人のように活躍してくれる選手が、沢山岩手県から出てくれたらいいな~と思います^^
それでは、大船渡高校・佐々木朗希選手の出身中学やプロフィール・家族についてなどまとめてみます^^
もくじ
最速157キロを誇るドラフト1位候補と言われている岩手大船渡高校の佐々木朗希選手。
今年2019年のドラフトがとても楽しみです^^
プロも注目している佐々木朗希投手ですが、プロフィールや出身中学、家族について調べてみました♪
佐々木朗希(ろうき)選手のプロフィール
佐々木朗希陸投手は、陸前高田小学校3年生の時から野球を始めました。
2011年の東日本大震災で被災し、陸前高田の自宅が津波でながされてしまいました。そのため、大船渡に移り住み、猪川小に転校します。
大船渡第一中学校では軟式野球部に所属し、Kボール選抜で全国大会初戦。
2018年、高校2年生の時の投球はこちら⇩
さわやかなイケメンですね^^
投球も力強くてまだまだ余力を残した感じの投げ方でかっこいいですね!!
佐々木朗希投手は、中学生の時から高校野球の名門の大阪桐蔭の関係者が大船渡第一中学校まで何度も足を運んでいたのだそうです。
大阪桐蔭のおそらく、野球特待生の誘いを断って大船渡高校に入学したのですね!
もったいない!と思うのですが、その誘いを断った理由がすごいと言われています。
大阪桐蔭のみならず、地元の花巻東高校など強豪の私立高校が誘う中、
「中学の野球が楽しくて。その仲間と一緒に甲子園に行きたい」と佐々木朗希投手は大船渡高校に進学しました。
プロを目指すのならば、大阪桐蔭や花巻東など強豪の高校に進学した方がドラフトで指名される可能性が上がるはず…。
それでも、中学の仲間とともに甲子園に行きたい気持ちが強かったんですね!
地元・そして仲間を大切にする気持ちがとても素敵だと思います^^
プロフィールでご家族のことに少し触れましたが、家族構成は母、兄、弟となっています。
母:陽子さん
兄:琉希さん(3歳上で大船渡高校OB)
弟:怜希さん
という情報がありました。
佐々木朗希投手は、実は東日本大震災で父親の功太さん、祖父の功さん、祖母の勝子さんを亡くしています。
その時、父の功太さんは37歳の若さでした。
陽子さん 琉希がすごく弟の朗希に厳しく接していました。その反動で、朗希は常に兄を超えようとしていました。野球面でも生活面でも、朗希が兄から褒められたことを見たことがないですね。見ててかわいそうなぐらい朗希は、兄から言われてました。
琉希さんも大船渡野球部OBで、4番も任されることもあった。生活面に限らずプレー面でも「お前レベルの選手はたくさんいる」と褒めもせず、あえて突き放し続けた。そんなに弟へ厳しく接する兄に、陽子さんは夫功太さんの残像を見ていた。沿岸部の陸前高田市で生まれ育った佐々木は11年の東日本大震災で被災。津波で父を37歳で亡くしていた。
陽子さん お父さんが長男にはしつけの面で厳しくて、弟の朗希と怜希にはすごく優しかった。琉希本人には聞いたことありませんが、父が亡くなってしまったので、その立場を琉希がやろうとしていたのかもしれません。
現在、佐々木は自分の最大の武器である「負けず嫌い」を育んでくれた兄に感謝している。
佐々木 上下関係が厳しくて、人に迷惑かけたりすると怒られた。今は優しい。いろいろ強くさせてもらった。
引用元:日刊スポーツ
母の陽子さんによると、父親の功太さんが東日本大震災で亡くなった後は、兄の琉希さんが父親の功太さんの代わりに厳しく接していたのだそうです。
今年のドラフト大注目の大船渡高校佐々木朗希投手について色々と調べてみました。
佐々木投手は、お父さんを東日本大震災で亡くされていたんですね。
そのような経験をしてきた佐々木投手は、きっと精神面も強いのだと思います。
お母さんのお話から、お父さんの代わりにお兄さんがしつけを厳しくされていたということで、家庭環境もとても素敵なのでしょう。
同時に、子供を持つ親として、女手一つで3人のお子さんを育ててきたお母様もとても尊敬します。
素敵な才能を持った佐々木投手。
ドラフト1位候補いう逸材の進路が気になりますね♪
沢山の活躍に期待したいと思います^^